最近、梅原猛の「親鸞「四つの謎」を解く」を芸術新潮(2014年3月号)で読んで、いろいろ考えさせられました。
親鸞という人は、平家が壇ノ浦で滅亡した時代(1185年)に生きた人だったのですね。しかも、滅ぼした側の源頼朝の甥だったという説もあって、深くその時代を生きた人だったようです。しかも、そうとうの身分の高い家柄ということだったみたいです。
で、その親鸞が、当時権力側の宗教だった、比叡山天台宗慈円のもとに9歳で出家します。第一の謎は、どうして9歳で出家したのかでした。ま、これは、源氏もそう長く権力維持できなくて、平家側の復興があり、源氏ゆかりの親鸞も危なかったからということらしいです。
どうして、法然のもとに行ったかが、謎の二つ目ですが、政僧侶だった慈円から離れたかったかららしい。
謎の三つ目は、どうして親鸞は結婚したのか。
これは、29歳の時に、慈円のもとを去り、法然のもとに行くのですが、法然の命で、当時の関白九条兼実の娘玉日姫と結婚せざるを得なくなってしまったようです。これは、法然が女性も救われるという思想を自分では実戦できなかったのだけれども、親鸞に託したものらしい。
そして、悪人正機説。平家が滅亡し、その張本人だった源頼朝の甥だったからということらしい。
ということで、親鸞ってどんな人みたいなことがこの本を読んでなんとなく感じることができた。
3年前に、北の地で葬儀があって、住職が、平家物語の冒頭を引用してお話しがありました。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
親鸞の生きた時代を考えると、これはすごく印象深いです。
で、この沙羅双樹という木、実家にあって日本では夏牡丹というものらしい。
その時の、住職、ずいぶん歳をとられていたのですが、私が高校生の時に驚いた記憶がありました。
月の命日に住職がこられた時に、上半身裸でした。ま、高校生だからね。そうしたら、住職がかなりあせった反応をしたので、驚きました。その感覚忘れていたのですが、久しぶりに住職を見て思い出してしまいましたw
こういうことを思い出すことからしても、やっぱり、おかしな感受性があるのかもしれないです。
いや~、ながい説明でしたね。
ま、この写真のいいわけw

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